2009/10/05
組織・人事における「仮説」と「検証」
文化系出身者と理科系との間には者の考え方に差がある、とはよく言われますが、たとえば、ロジック構築や判断にあたってのアプローチにもその差がでてくるのかもしれません。社会科学といわれている分野、たとえば経済学、社会学においてもそうなのですが、実は手法としてはそれほど理科系と違いがあるのではない、というところから出発したいと思います。
仮説と検証
例えば、ある事象についてその意味を理解するために、仮説を立てることはよくあります。戦略論、人事や組織論についても同様です。
問題は、仮説を立てることや仮説構築方法にあるのではありません。問題は、検証にあるのです。実験科学者福岡伸一さん(「生物と無生物のあいだ」の著者)によると、実験科学者の立場からその本質を教えてくれます。
① まず、仮説を立てる。(例:発がんには分子Aの異常が関与しているのではないか)
② この仮説を検証する実験を立案する。(人為的に分子Aを異常化させて、がんが引き起こされるかどうかを調べる)
③ 目論見とは異なった実験結果が得られたときどうするか?(予想に反して細胞はがん化しなかった)ここが問題です。
- 予想どおりの結果が得られなかったのは自分の仮説がそもそも間違っていたからである、と考える。(分子Aの異常はがんと関係なかった。)つまり、仮説の誤りを認める、仮説を放棄する、という結論をとる。
- 自分の仮説は間違っていない。実験の手続が適正でなかったから、予想された結果が出なかったにすぎない、と考える。(分子Aの数が少なかったせいだ、観察時間が短すぎたのだ、使用した培養細胞が良くなかったのだ、などなど)そして、実験条件をいろいろ変更して再試行を繰り返す。
問題は、検証実験が予想通りでなかったという事実だけでは、ケース1とケース2のどちらが正しいのかの区別がつかないということです。
- 仮説自体が間違っていたと早とちりすると、手続の加減でうまくいった場合つまり正解を捨ててしまう決定的過ちを犯す、かもしれない。
- 頑固に仮説に固執し過ぎると、無限に実験を繰り返したあげく、ついに仮説は間違っていたことにたどり着くかもしれない。たいへんな無駄と労力の空費となる。
現場はこの二つがせめぎ合う、という現実があります。
さて、戦略論や人事、組織論では、この仮説と検証の狭間の悩みについても、実は実験科学の現場と同じことが起きているといえます。コンサルティングする際、あるいは、社内企画をたてるとき、あるいは中長期事業計画をたてるとき、よく一口でPDCAを回すといいますが、一刀両断で考えていないでしょうか?実際は、仮説と検証の狭間の悩みについて、きちんと意識していることはプロセス上も非常に重要なことだと思います。