2009/04/29
「曲が流れる以上、踊らなければならない」コンプライアンスの悲劇とは。
「曲が流れる以上、踊らなければならない」コンプライアンスの悲劇とは。
ウオール街の失敗
2008年から2009年にかけ、米国での住宅バブルの崩壊は、世界的な金融混乱を招き、実体経済の低迷に波及しました。バイアメリカン運動のように、保護主義が強まっています。そうなれば、危機は世界的な景気悪化の加速という新たな重大局面を迎えることになります。その中で、公的資金注入を受けたAIGで、その大損害の震源地であるCDS部門のマネージャーたちが巨額のボーナスをせしめた事件は、記憶に新しいところです。ウオール街で働く人々のgreedさ(強欲さ)は7つの大罪(sin)のひとつでもあります。
Greedy?
ウオール街の人々は、経済全体の将来を考えずに、住宅関連の投融資競争を繰り広げました。その結果、市場という公器そのものを破壊し、みずからも共倒れしたのです。共同体の中で自分たちが生きているのだということを忘れれてまった、ウオール街で働く人々の視野が狭かったのでしょうか?それとも単に利己的で、身勝手な強欲な(greedy)人々だったのでしょうか?コンプライアンス、つまり法令等遵守、倫理意識はなかったのでしょうか?
「曲が流れる以上、踊らなければならない」
金融危機が始まるわずか一ヶ月前の2007年7月、シティグループの当時の会長が残した一言は、ウオール街の雰囲気を鮮明に表しています。「曲が流れる以上、踊らなければならない」と。いずれ限界が来ることを知っていたのです。それでも目先の収益競争に負けることを恐れ、無謀な投融資から撤退できない心理がにじみ出ています。
「いけないことはわかっているが降りられない」
この危険な心理こそ、コンプライアンス経営をしなければならないのに、それでもおこってしまう企業不祥事の実態をあらわしています。
エール大学でのミルグラム実験でもこの役割と個人自我との混乱が実証されました。コンプライアンス遵守といわれながら、それを守りきれない組織の実態は実はこうした役割と自我との相克・混乱にあるのです。
ミルグラム実験中でも、すべての被験者は、途中で実験を止めたり実験に疑問を抱いたりし、中には「この実験のために自分たちに支払われている金額を全額返金してもいい」という意思を表明した者もいましたが、300ボルトに達する前に実験の中止を希望する者は一人もいなかったということです。会社が、コンプライアンス違反の行為をしていることを知っていたとしても、それをやめさせることは非常に難しいのです。
コンプライアンスと自我との混乱
これも、職場の危機管理の一環ですが、これを管理する手法は、あるのでしょうか。